どうもこんにちは!
寒い!寒い!サムイ!!!
朝晩共にいよいよ毛布一枚では、寒さを乗り切れなくなった季節に突入してきました。特に起床時の外の暗さと寒さが身体の第一歩を踏み込むことを拒ませている要因になっていることを日々感じる朝です。
これだけ冷えている毎日において皆さんは、仕事に対するモチベーションはいかがでしょうか?【やる気が出る??出ない???】私個人としては、基本的に寒がりなので、寒いとやる気は減少します。
寒さの理由でやる気は出ないという意見は、おそらく大半の人がそう思うことでしょう。朝起きるのは辛いし、外は暗いし、手足が悴むし、それでいて身体も強張るしとやる気が出る要因が全く感じられませんよね。
そして日本ならではですが、外が乾燥しているので、肌が乾くし、風邪引きやすく、体調不良をきたしやすいです。これらを踏まえると個人的には、寒い時期に重要なイベント(受験シーズン)を避けるべきだと国や自治体に訴えたいです。
でもよくよく考えてみると、夏の時期でも暑いとの理由でやる気が出ないという意見が大半の人は持っているのではないでしょうか。。。。
個人的には夏は好きですが、夏が不快な人にとっては・・・・・
夏は夏で、湿度、気温が高く、身体が汗でべたべたして服にまとわりつくのが気持ち悪くてスッキリしない。加えて冷房が必須になるので、電気代を見て悲鳴を上げる日々‥‥それが夏の不快要素ですね。
【寒い】【暑い】が仕事のモチベーションを下げる要因になっていることはあるでしょうが、それよりももっと根本的な部分がモチベーション低下の原因になっているのではないでしょうか。
- 仕事は面倒くさいけど、生活の為にしないと
- 一日の時間で仕事の時間が一番長い
- 仕事が忙しくてプライベートの時間がない
- 職場に嫌な人と顔を合わせるのが辛い
- やりがいが無い
人それぞれではありますが、仕事のモチベーション低下の原因となる根本部分は、大体こんな感じだと思います。
そもそも仕事の概念とはなんなのか
仕事とはなんなのか、改めて考えていくとこの2パターンが基本になります。
社会的・経済的な仕事
生計を立てる為に社会に価値やサービスを労働という形で提供して、その見返りに報酬を得る活動のことですね。
例を言いますと、事務仕事では営業のサポート及びに組織(会社)の経理や必要書類の対応。営業業務は仕事の開拓による受注と売上。現場仕事による肉体労働と専門技術を使い、建物、インフラ整備などの業務に携わることなどがそれに当たります。
主に雇用労働、自営業、フリーランス、ボランティア活動(無償の仕事)などの形態によって大半の人が労働による報酬を得ています。
哲学的・実存的な仕事
そんな社会的・経済的な仕事を通して、人によっては、仕事は人生の意味や目的を与える生きがいであったり、自分の能力を発揮し、成長する場としての自己実現だったり、他者との協働や貢献を通じた社会参加による社会的つながりを感じられるといった哲学的・実在的に仕事を捉える人達もいます。
仕事の中に価値観を見出すと言えばよろしいでしょうか.
そうやって自分の人生の中を充実させるために仕事を通してやりがいを見出しながら成長していくことを目的としています。。
資本主義社会(現代社会)以前の仕事の概念
資本主義社会以前、つまり中世ヨーロッパや前近代の日本などにおいて、「仕事」という概念は現代とは大きく異なる意味を持っていました。
生活と労働の一体性
前近代社会では、仕事と生活が明確に分離されていませんでした。農民は自分の土地で作物を育て、それを家族で消費するという営みの中で暮らしていました。
職人も自宅が工房であり、家族全員が生産活動に関わることが一般的でした。
つまり、「労働時間」と「余暇時間」という区別が曖昧で、日の出とともに起き、日の入りとともに休むという自然のリズムに従った生活の中に労働が組み込まれていたのです。
共同体への帰属と義務
仕事は個人が自由に選択するものではなく、生まれた身分や家柄によってほぼ自動的に決まっていました。
農民の子は農民に、鍛冶屋の子は鍛冶屋になることが当然とされ、それは共同体における役割であり義務でもありました。
中世ヨーロッパの封建制度では、農奴は領主の土地で働く義務を負い、その代わりに保護を受けるという相互関係の中に位置づけられていました。
技能の伝承と徒弟制度
職人の世界では、ギルド(同業組合)が技術の伝承と品質の維持を担っていました。若者は徒弟として親方のもとで長年修行し、技能を身につけていきました。
これは単なる技術習得ではなく、職人としての生き方や倫理観を学ぶ過程でもありました。
仕事は「賃金を得るための手段」というより、「一人前の職人になる」という人格形成そのものと結びついていたのです。
自給自足と互酬性
多くの人々にとって、仕事の目的は市場で売るための商品を大量に生産することではなく、自分たちが生きていくために必要なものを作り出すことでした。
余剰が生まれれば物々交換や贈与によって分配され、村落共同体では相互扶助の精神が重視されました。「労働の対価」という考え方よりも、「共同体の中での役割を果たすこと」が重視されていたのです。
時間の感覚
機械時計が普及する以前、人々の時間感覚は季節や農作業のサイクルに基づいていました。「8時間労働」といった量的な時間管理の概念はなく、必要な仕事が終われば休むという、仕事の内容そのものに規定された労働のリズムがありました。
農繁期には朝から晩まで働き、農閑期にはゆっくりと過ごすという、季節による労働強度の変動も大きかったのです。
このように、資本主義以前の社会では、仕事は生活・共同体・人格形成と密接に結びついた総体的な営みであり、現代のような「労働力を商品として売る」という抽象的で分離された概念とは本質的に異なるものでした。
【こちらもおすすめです。】
現代社会と前近代との仕事の概念を比べて
こうして現代と中世時代との仕事の概念を比べてみると、お互い特徴が存在することが分かります。
現代社会(資本主義)
- 仕事の自由の選択。
- 決められた労働時間
- グローバル化という名のもとの外部の参入
- 給料の為の労働
- 共同体よりも個人の尊重
前近代(中世)
- 決められた仕事形態
- 労働とプライベートの一体化
- 必要に応じた労働時間
- 共同体の重視
- 必要なモノを生産(余剰分は分配)
- 成果よりもやりがい
ざっくばらんではありますが、こんな感じではないかと思います。こうしてみてみると、個人差はあれど、お互いの良し悪しが見受けられることが分かります。
特に仕事に対する意識の部分に差があるような感じがします。
中世期の仕事は、皆と分配しながら共同体を形成して必要な労働時間内で生活に必要不可欠なモノを生み出していく。空いた時間は娯楽に時間を費やすといった感じでしょうか。
一方、近代(資本主義)の仕事は、いかに売上を上げていくかが重要で、達成のために時には、必要不可欠ではない付加価値を生み出し、それらを市場に提供していきます。例え、仕事が早く終わっていても、決められた労働時間内までは、仕事に従事するといった感じですかね。
結局は自分次第
私たち現代人は、生まれたときから資本主義社会の仕事の概念が身体に染みついてしまっている為、大半の人が、特に疑問を感じずに仕事に打ち込んでいることでしょう。
でも資本主義以前の仕事の風景を調べてみると、まるで180度違うと言っても遜色がないほど、仕事に対する意識が違います。
- 仕事にやりがいが感じられない
- モチベーションが上がらない
- 何のために仕事しているか
などの疑問がよぎるのであれば、もしかしたら現資本主義社会の構造が本来のあなたの良さを押さえつけているせいなのかもしれません。
共同体が重視の中世期は、現代の我々からみると個人が尊重されず、息苦しい感じがするかもしれません。だけど、共同体を通して人生経験を学んだり、人間関係の構築、人とのつながり、共同体ならではの治安維持などのメリットがあったのも事実です。
個人の尊厳が尊重され過ぎな現代社会には、自由があっても同時に孤立する場面も比例して増えてきている感じがします。
【こちらもどうぞ】
結論をいえば、今の自分の立ち位置が充実しているか、何かに不満してそれに支配されているか、なんとなくの虚無感があるかに関わらず、後悔ないように過ごしているかが大事なことだと思います。
先の事ばかり考えると、余計な心配毎が増えるし、かと言って何も考えていないと余計な不安が募るし、、、、、
であれば今のこの時間を肯定することです。
すべてを肯定しながら物事に励むことで、もしかしたらなにかが少しずつ変わるかもしれません。
おそらく答えは目の前にあるでしょうが、それに気づけるか・・・・・。
お互い励みましょう!!!!
セルフコントロールランキング



コメント